僕にとって、田原俊彦さんは、マイケル・ジャクソンと同じくらい大きく、尊敬するアーティストです。

田原さんは、1980年6月21日”哀愁でいと”でデビューして、昨日でまる30年が経過しました。

この30周年を記念して、6月17日に、”Cordially”という新曲をリリース、昨日、今日と30周年記念ライブの開催、そしてこの「職業=田原俊彦」の出版などのイベントが用意されています。

「職業=田原俊彦」は、幼少時からジャニー喜多川さんとの出会い、アイドルでの全盛期から現在までを綴ったエッセーで、その飾らないありのままの気持ちを伝えた内容は、田原俊彦を集大成したバイブルのような感じに仕上がっています。

序盤では、小学校に入学とともに父を亡くす不幸な境遇から不良となり、高校時代に人生を考え、ジャニー喜多川さんに直接会いに行って、デビューへの階段をゲットした過程について書かれています。

今でこそジャニーズ事務所は芸能業界に一大帝国を築いていますが、当時フォーリーブスが解散し、看板は川崎麻世さん1人だけという微妙なポジションの中、たのきんトリオのトップバッターとしてデビューし、大ブレイクした田原さんの貢献度は多大で、今のジャニーズ事務所の地位とスタイルを作ったといっても過言ではないと思っています。

当時中学生の僕は、クラスの女の子がみんな、トシちゃんの切り抜きやブロマイドを下敷きに入れているのに、強烈に嫉妬したものです。
「なんでこんな女男みたいのがいいんだよ」(失礼)という感じで。
ところがある日、トシちゃんが夢に出て、ある訓示を頂いた。
田原俊彦は、僕の人生に大きな影響を頂く存在となりました。

中盤では、紅白歌合戦の落選、翌年の再選辞退、ビッグ発言、ジャニーズ事務所からの独立について、当時ではタブーであったと思われる事についても触れられています。

ここら辺は、僕にとっても、改めて当時のショックを思い出させます。
87年、自分もやっと紅白のサポートの仕事を頂く所まで来ました。
でもそこに田原俊彦はいなかった。
少年隊の”君だけに”のリハーサルを見ながら、ぼんやりと複雑な思いにふけりました。
その後「教師びんびん物語」の大ブレイク、抱かれたい男N0.1、田原俊彦第二の黄金期がやってきた。

そして彗星のように、テレビから姿を消してしまいました。

無難に立ち回っていれば、そうならなかったかもしれない。
でもそれが、田原俊彦なんだな。と納得しました。

後半は、ファンや家族や、尊敬する人たちへの思いなどを通じて、改めて心を開いて語ってくれます。
ご夫人、娘たち、矢沢永吉さん、沢田研二さん、長島茂男さん、

そしてマイケル・ジャクソン。

ジャニーさんから「マイケルは参考になるから見なさい」と見せられたジャクソン5がきっかけ。

ということでしたが、中でも

「ブラック・オア・ホワイト」がアンテナを刺激した。
「そっか、その方向に行くんだ」。
進むべき方向を示してくれた。

とあります。これは、僕にとってはとても印象的でした。

長い間、マイケルを追いかけてきた田原さんにとって、一番刺激的だったのが
キング・オブ・ポップになった瞬間であったというのは、意外であり納得でした。

「その方向に行くんだ」。

僕も、そう思いました。

現在、エンターテインメントは、TV中心からライブやインターネットのウエイトを年々高めています。
YouTubeやニコニコ動画の出現によって、「田原俊彦」というコンテンツは再び価値を高めてきています。

結びは新曲”Cordialy”の歌詞。今までの人生を伝えるメッセージソングです。

自分のスタンスを貫き、逆境の時代を乗り越えて、
ますますブレない「田原俊彦」を作ってゆく、という決意の表明にただただうれしい限りです。