ご報告

福島県双葉郡楢葉町の方々が住むいわき市の仮設住宅で、MJダンスパフォ&ひな祭りプレゼント(フェアトレードのチョコレート)を再び行なって来ました。

皆さんの笑顔は嬉しく、それと同時に改めて色々な気付きを得た旅でした。

参加メンバーのコメントより

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当日メンバーのたろう、かなこ、Jun-jiと。

震災から約1年、何かしなければいけないという思いでいた時に マイケルやもさんを始め仲間たちが動き始めたことを知り、一緒に参加させていただきました。 活動が始まって2回目のことでした。
自分に何ができるのかもわからない、何をお話すれば良いのか心の整理ができず、、、
この日自分が発した言葉は間違っていたかもしれません。
少しでも笑ってもらえたらなんてとてもおこがましい気持ちでいましたが、元気と勇気をくれたのはみなさんでした。
感謝でいっぱいです。 ありがとう。

参加メンバーのコメントより

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「お花見はもうしましたか~?」
と、あらん限りの明るい顔と声でお聞きすると、
「いわきの桜など、おらは見たことがねえっぺ。」
「天神岬の桜が見てえ!なあ、見てえなあ~!」
という答えが返ってきて、ざわめきが起こりました。
そのとき、みなさんはある日突然慣れ親しんだふるさとを後にして、
遠く離れたところに移り住んでいるんだということを身にしみて感じました。

みなさんの心が少しでも癒えるように、この訪問を続けようと思いました。

たくさんの応援ありがとうございました!

ご案内

 

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2014年12月アースデイwithマイケルで制作した「マイケルふれあいステージアルバム」より
https://ameblo.jp/withmichael1/entry-11897271326.html?frm=theme
東日本大震災で被災された方々のこころのサポートのため、
「マイケルふれあいステージ」と題して、
東電福島第一原発から20Km圏内にある楢葉町からいわき市に避難している方々への訪問を、
2012年2月から開始し、2014年の3月で17回目の開催を終えました。

マイケルジャクソンの歌とダンスの披露、全国のマイケルファンからのプレゼント、仮設住宅への戸別訪問にはじまり、その後カラオケ、手作りワークショップなどを行う「ふれあいルーム」も開始し、今では手紙のやりとりなども通じた地域ぐるみの交流を続けています。

この活動への思いを伝えるとなりますと、2011年の3月11日から11ヶ月かけてたどり着いた道のりを抜きに語ることができません。

いろいろなご縁や絆のもと出来上がったものと、感謝の気持ちでいっぱいです。これからも、ますます心のこもったふれあいを続けて、被災されたみなさんと、特に自分にできることはないかと感じていらっしゃる方々の思いをつなげてゆければと思っています。

国内最大級の市民による地球フェスティバル「アースデイ東京」。
この地球への愛がいっぱいのイベントに、誰よりも地球のことを思って行動していたマイケルを登場させたい。
そして同じ思いを持ったマイケル・ファン仲間と行動をはじめた。
これが3年前、アースデイwithマイケルをはじめたきっかけです。

その出展への準備をしている最中、東日本大震災に見舞われ、日本中が悲しみにくれました。
アースデイ東京2011開催を3週間前に控えた3月28日には、復興支援のため急遽開設された、
アースデイ東京タワー・ボランティアセンターで1回目のバスツアーが開催され、実行委員の仲間とマイクロバスで宮城県石巻市に行き、炊き出し、掻き出し、避難所や町の修復などを行いました。
目を覆う惨状に呆然としながら、大切な方を失いつつ生き抜き、炊き出しに集まってくる方々を、精いっぱい励ましました。

今、私たちにできることは?

神戸の震災のときにチャリティ・ソングを作って励まし、支援してくれたマイケル、
もし今マイケルがいたら、きっと東北にも来てくれたことでしょう。
「今度は私たちが、マイケルの歌とダンスで元気を届けよう。」
アースデイ東京への出展が終わった後も、アースデイwithマイケルは復興支援につながる活動の場を求めて回りました。

2011年5月5日、「地球のこどもの日」というトークイベントでNPO法人MERRY PROJECTの水谷代表と出会いました。
世界の恵まれない国や自然災害に被災した地域のこどもの笑顔を撮影し、アートにして平和を提唱する活動をしていて、
北京オリンピックの開会式にも「笑顔の傘」を登場させたというすばらしい実績がある団体で、とても感銘を受けました。
東日本大震災で被災し避難所で暮らしているこどもたちを元気づけながら笑顔を撮影し、今まさに本格的に復興支援に動き出さんとしているところでした。
紹介を受けると、即座に5月28日六本木ヒルズでの復興支援イベントへの出演を調整してしてくれ、これをきっかけに、いくつかのイベントにご一緒させていただきました。

水谷代表は「僕たちとマイケルのメッセージは同じ」といつも語り、今も多くの活動をともにさせていただいています。
8月7日には、例年は40万人がにぎわう、いわき平七夕祭りのステージに出演し、初めて東北に足を踏み入れ、被災された方々の前でパフォーマンスをさせていただきました。たくさんの方が足を止めて喜んでくれました。
震災から5ヶ月が経過し、被災された方々と直接ふれあう機会も作ってゆきたいと思っていたところでした。

そして9月11日、石巻訪問でお世話になったアースデイ東京タワー・ボランティアセンター主催の東京タワーでのチャリティ・キャンドルライブを構成・出演させていただこことになりました。
震災から半年、同時多発テロから10年のこの日、復興と平和へのメッセージ、黙祷を捧げ、心をひとつに寄せ合いました。

復興と平和のスピーチを、マイケルのバックダンサーとして活躍した唯一の日本人、ユーコ・スミダ・ジャクソンさんにお願いしました。
「まだまだいろんなところで、自粛すべきだという声があがるようですが、
こんなときだからこそ、音楽やダンスの持つ見えない力
そんなメッセージに、生きている私たちへの本当に答えがあるような気がしています。
マイケルの歌やダンス、また作り上げられた全作品に、
彼の全身全霊と、その答えが込められています。
実際にマイケルと一緒にお仕事をするたびに、それが真実であり、本物であることを体験しました。」

この言葉に果てしなく強く後押しされました。
震災から半年が経ち、新しい一歩を踏み出すときと感じていました。

震災から半年が経ち、新しい一歩を踏み出すときと感じていました。
東北ではがれきの撤去、避難所から仮設住宅への引越しが一段落し、これからが本当に僕たちの活動が必要とされる時。
直接東北で、「こころのサポート」をできないかと考えていました。
3月に石巻を訪問した時、避難されている方の話し相手になって「こころのサポート」をするライフ・カフェというボランティア活動を知り、それがいつも頭の片隅に残っていました。
そしてクリスマスに東北で活動を行うために情報を集め準備を始めました。

折りしもそんな中、アースデイwithマイケルの母体団体の一つで、福祉施設でマイケルダンスを披露しているMJライフに、
NPO法人TokyoDeVolunteerさんによる、被災して仮設住宅にお住まいの方々へのメイクアップなどを施す「ビューティ・ボランティア」という活動への同行により、マイケル・パフォーマンスをさせていただくお誘いがあり、
10月宮城県東松島市、11月石巻市に行きました。
東松島では初めて仮設住宅を目の当たりにし、集会所でのパフォーマンスを行いました。
最初はどのような反応があるか、とても不安でいっぱいでしたが、ビューティ・ボランティアさんのメイクやマッサージで身も心も癒されたみなさんは、歓声を上げながら喜んでくれました。僕たちは、「ここでもできることがある」と、とても報われた気持ちと手ごたえでいっぱいになりました。
そしてこのときの経験が、今行っている「マイケルふれあいステージ」の原型になりました。

クリスマスに被災された方々とすごそうという東北ツアーは、宮城県仙台市、福島県いわき市、郡山市の3箇所で実現しました。
アースデイ東京2011の直後から、実行委員の先輩である日本和紙造形研究所さまからお誘いいただいていた復興支援構想が、
12月18日に、仙台空港再開後初めての催事として実現、紙すきワークショップとマイケル・パフォーマンスのコラボとして開催されました。自らも震災に見舞われた仙台のマイケル仲間も合流して感動のステージとなりました。
前出のMERRY PROJECTさんはその後もいわき市の復興支援に入り、商工会議所などの協力をうけ継続的に復興支援イベントを行っていました。
12月23日には世界最大の笑顔の傘のクリスマスツリーをつくろうという企画をご一緒させていただきました。
また、10月にアースデイ東京実行委員で福島を視察し、福島の各地にできたつながりに対して支援する「リトル・アースデイ福島」というプロジェクトが発足し、そのアクションとして、12月24日福島県郡山市で開催された復興音楽祭「はっぴーあいらんどフェスティバル」に出演させていただきました。

この東北ツアーでは、全国のマイケル・ファンからクリスマス・プレゼントを募る「東北メリクリ応援隊」という企画を開催して、たくさんのプレゼントをお寄せいただきました。自分にできることはないかといつも思っていたので、こんな形で役に立ててよかったと、多くの方に喜んでもらえました。
これが、現在の「マイケルふれあいステージ」のプレゼント企画のベースになっていて、このときからたくさんのマイケルファンから支援の気持ちが寄せられるようになりました。

2012年2月12日、MERRY PROJECTさんに、福島県いわき市内外の復興支援する人たちと、いわきサンシャインマラソンの応援にご一緒させていただく機会をいただきました。
このような機会を待っていました。そのイベント前日に、いわき市にある仮設住宅を訪問することはできないかとMERRY PROJECTの水谷代表に相談し、
いわき市内にある、双葉郡楢葉町の町役場の担当者を紹介していただき、集会所でレクリエーション活動をさせていただくお願いをしました。

「マイケルふれあいステージ」を開催させてほしいと概要を説明し、了承をいただきました。

そして、2月11日の集会所を予約させていただきました。
しかしながら、
震災から11ヶ月経った今もなお時折発生する強い地震、
いつ爆発するかわからない原発、
どれだけ影響があるか実態もわからない放射線量などに、
最初は一緒に行ってもらうボランティアを広く募集することができませんでした。

メンバーは直接声かけした屈強な男子4人になりました。
この時一緒に訪問した3人、たろうさん、クロさん、ジュンジさんには本当に感謝しています。
この時なしには後の16回もありませんでした。
特に、ドライバーをしてくれたたろうさんとは毎日のように打ち合わせをして内容をつめ、その後皆勤でこのふれあいステージを支えてくれました。

こうして2012年2月11日、初めての「マイケルふれあいステージ」は開催されました。その時、集まってくれた方々の表情、今でも忘れません。
石巻で触れた悲しみとは少し違った、苦渋の表情。
それでも、ステージが始まると、僕たちのパフォーマンスに笑いが起こり、拍手が起こった。
「そこ、笑うところかな?」
それは、笑いから遠く離れた方々が、久しぶりに心の奥底から引っ張り出した感情に見えました。
そして、マイケルファンからのカンパで買ったフェアトレード・チョコのプレゼントをお渡しして帰るとき、
笑顔で一杯になったみなさまの顔が、振り向く間に元の苦渋の表情に戻ってゆくのを見て、一時の訪問では心は癒えないのだなと強く感じました。
その時、この場所に繰り返し訪問し、ふれあいを深めようと決めました。

「マイケルふれあいステージ」では、前半と後半のパフォーマンスの間に、「お話タイム」というのを設けています。

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3月4日2回目の訪問のとき、
「お花見はもうしましたか~?」
と、あらん限りの明るい顔と声でお聞きすると、
「いわきの桜など、おらは見たことがねえっぺ。」
「天神岬の桜が見てえ!なあ、見てえなあ~!」
という答えが返ってきて、ざわめきが起こりました。
そのとき、みなさんはある日突然慣れ親しんだふるさとを後にして、
遠く離れたところに移り住んでいるんだということを身にしみて感じました。

2012年8月に、楢葉町は一時立入可の条件で帰町できるようになりました。
お盆にはほとんどの方が我が家に帰られたとのことでした。

「みなさん、おうちに帰れたんですね。よかったですね。」
と、あらん限りの明るい顔と声でお聞きすると、

すると一人の男性がポツっといった。
「楢葉にはもう、帰れねえ。」
「そんなことはねえ、一緒に帰ろうな。」
ともう一人。
久しぶりに見たふるさとは、一体どんなだったでしょうか。

このように、毎回の訪問が新しい発見であり、深く考えさせられるものでした。

今ではすっかり外から励ましに来てくれる方はいなくなってしまった。
とみなさんはおっしゃいます。
この先、楢葉町への帰町、復興住宅への転居など、そう遠くない将来に、
ここにいらっしゃるみなさまには、また環境の変化が訪れます。
その後も、ずっとつながっていられるよう、この活動を継続してゆきたいと思っています。

以上、2014年12月アースデイwithマイケルで制作した「マイケルふれあいステージアルバム」より
https://ameblo.jp/withmichael1/entry-11897271326.html?frm=theme