2024年はマイケルが旅立って15年目の年。
今日10月28日、映画「マイケル・ジャクソン ディス・イズ・イット」が公開されてからも15年を迎えました。
マイケルの旅立ちそのものもさることながら、
映画ディス・イズ・イットの公開は、
僕の生き方を大きく変えました。
「なぜマイケルになったのか?」
ここでは、2016年7月9日に書籍「マイケル・ジャクソンの言葉」Facebookページに寄稿した文を再投稿します。
(同FBページは、FBサイドからの謎のバンによって消滅してしまいました。)
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『This Is It 前夜の回想』
2009年7月から2010年3月まで、ロンドンO2アリーナで50公演が開催される予定であった幻のコンサート「ディス・イズ・イット」。
同年の10月28日には、このコンサートの共同ディレクター、ケニー・オルテガの手によって、このリハーサル風景をドキュメンタリー化した映画「マイケル・ジャクソン ディス・イズ・イット」が公開されました。
あれから6年(2016年現在)が経とうとしていますが、今こうして振り返ってみても、これを境としたマイケルへの見方の変化と、社会に与えた影響はとても大きかったと思っています。
「ディス・イズ・イット」前夜のことを回想してみました。
“See you in July.”
2009年3月5日、マイケルは突如ロンドンで記者会見を行いました。
そのとき僕はマイケル・ファンのコミュニティで友達と時間を共有しながら、ネット動画ニュースで会見を見ていました。
裁判やゴシップで傷ついた「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソンが再び「キング・オブ・ポップ」として脚光を浴びて復活する日。
コアなファンであっても、なかなかイメージができなかったのではないでしょうか。むしろ脚光を浴びず、バッシングや圧力をうけて傷つくことなく、ステージを楽しめるように。
そう思っていた人も多かったのではないでしょうか?
それをマイケル本人が許すのならば。
2007年くらいからマイケルのまわりに動きが出てきていました。
テディー・ライリー、ベイビーフェイス、ニーヨ、ウィル・アイ・アムなどと曲作りを進めているとうわさが伝わって来ました。過去マイケルを支えて来た人たち以外にも、たくさんの今をときめくポップ・R&Bアーティスト、プロデューサーの名前が浮かんできていました。レニー・クラヴィッツという意外な名前も浮上したり。どんな作品になるのか、楽しみで仕方ありませんでした。
そして、それが無事に陽の目を見てほしいと思っていました。
海外のマイケル・ウォッチャーから日々のマイケルの状況が写真画像で伝えられて来ました。僕は、リアルタイムで過ごすマイケルを見れて嬉しかったのと同時に、早く新しいマイケルが見たい、会いたい、という気持ちでした。
2008年2月に『スリラー25』が発売されました。
未発表であった『ガット・ザ・ホット』、『フォー・オール・タイム』とともに、プラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムとファーギー、カニエ・ウェスト、エイコンによるスリラー収録曲の新しいトリビュート・バージョンが納められました。
そこに新しいマイケルの登場はありませんでしたが、それは着々と進められているという、新しいアルバムが近づいていることを感じさせてくれました。そして、ジェームズ・ブラウンなき今、彼にかわるR&B界の新大御所、マイケル・ジャクソンの存在を感じさせるものでした。マイケルにあこがれて育ったスターたちがマイケルを神輿に乗せて担いでいる。そんな風景が浮かんで来ました。
その後、7月頃エイコンとの「Hold My Hands」がネットで流出しました。
10月にはベスト・アルバム『キング・オブ・ポップ』が発売されました。
そして翌年の3月。
会見でのマイケルは、本物のマイケルではないようにも見えました。
もの静かで柔らかい壊れそうなあのいつものイメージと少し違う、何か強気で骨太な感じがしました。
マイケルのスピーチを書き写したメモを、僕はまだ持っています。
みんなのことを本当に愛してるよ。
あー、みんな本当にありがとう。
ディス・イズ・イット、ディス・イズ・イット、ディス・イズ・イット・・・
これがロンドンで行う最後のショーになると思う。
ファンのみんなが歌ってほしいと望んでる歌を歌うよ。
いいかい?ディス・イズ・イット、これが最後のカーテンコールだよ。
7月に会おう。
愛してる、本当に愛してるよ。
わかってくれるかい?
すごく愛してるよ。
本当に、心の底からね。
ディス・イズ・イット、7月に会おう。
わずか3分のスピーチ。
「ディス・イズ・イット!7月に会おう。」
僕はその場で放心状態になりました。
その直後にネット上にチケット購入サイトが立ち上がりました。
これは夢か現実か、確かめる間もなく、
3月11日に10公演のプレセールが開始され即日完売、即日20公演追加、12日さらに15公演追加、13日さらに5公演追加され本販売が開始されましたが全て瞬間で完売となりました。
それは怒濤のような、あっという間の10日間たらずの出来事でした。
日本でも続々チケットをゲットできた人が現れ喜びの声を上げていました。僕は6公演目7月24日の「スリラー・パッケージ」という当時日本円で8万円くらいするプレミア・シートをやっとの事で入手して、50公演分がソールドアウトになりました。その後7公演目7月26日のチケットを入手しました。
チケットの予約のときに、毎回の公演の後にアフター・パーティなるものが、オプションでありました。近くのクラブで開催されるようで2,000円程度ではなかったかなと思いますが、それもすかさず購入しました。
マイケルもたまには顔を出すのだろうなーと思いつつ、公演の後もマイケルのサウンドに身を委ねながら世界中のマイケル・ファンとふれあうのを楽しみにしていました。
それと、公演と公演の合間の日にマイケルの歌とダンスをトリビュートしたステージ「スリラー・ライブ」の公演を予約しました。
6月に入って、マイケルの髪型が記者会見の時のストレートのロングヘアーからおなじみのカーリーに変わりました。マイケルが、ついに現実感を持って動き出した。そのときの、ファンのみんなの色めき立ちようは未だにはっきりと思い出します。
そんな中で、急遽舞台装置のセットが間に合わず、初日の7月8日の公演がなくなり、13日が初日になりました。
7月8日の公演チケットは何と、翌年3月6日の最終公演に振り替えられることが伝えられました。
7月8日の公演チケットを入手した人は、既に航空券や宿泊先などを決めており、ツアー変更をしなくてはなりませんでした。友人の中にもこの対応を余儀なくされる友人もたくさんいました。
僕が入手したチケットは5公演目、6公演目となった。
でもまだ発券もされていないし、どうなるんだろうか。
そして、マイケルは、この50公演ものツアーを乗り切れるのだろうか?
という不安もずっと頭の中にありました。
「ディス・イズ・イット」前夜を思い浮かべると、こんな感じでした。
その年の10月28日、映画「ディス・イズ・イット」が封切られました。
マイケルが旅立った後、バッシングが賞賛に変わりました。
歌、ダンス、スポーツ、芸術、文化、各ジャンルでマイケルをトリビュートする動きが広がりました。
コンテンツづくりの人たちもこぞってマイケルを取り入れてゆきました。
こういったものが、どんどんつながっていって、TVにネットに街中にマイケルがあふれるようになりました。
その方向に、どのみち変わりはなかったとは思いますが、
幻のコンサート「ディス・イズ・イット」が映画で再現されたことは大きかったと思います。映画「マイケル・ジャクソン ディス・イズ・イット」は、マイケルという人、マイケルの考え方を伝えるのに、絶妙な形で人々に受け入れられていったのではないだろうかと思います。
ありがとう。ケニー。
マイケルの愛に触れた人々はつながり、地球全体にソーシャルなマイケル・ジャクソンが作られてゆく。姿形はないけど、そこにはマイケルが生きているのではないかと。そして、こうしてつながった人たちが、よりよい世の中に変えてゆくのだと思っています。
文:山際伸二郎(マイケルやも)
イラスト:Hitomi